2013119日、新春の鎌倉に見知らぬ一人の女性が舞い降りる...Fremd bin ich eingezogen...まるで気付いた人だけが幸せを感じる降り始めたひとひらの新雪のように...。

彼女の名前はアイリカ・クリシャール。ドイツが生んだ類まれな才能を持ったソプラノ歌手だ。雪のように白い肌、氷のように澄んだブルーの瞳、冬の陽ざしのようにキラキラと輝くブロンドの髪...。彼女の笑顔は全ての人の心へ春を届ける。しかし今回、彼女は鎌倉へシューベルトの「冬の旅」を届ける。

20119月、今まで女性が歌った録音が4本しかなかった「冬の旅」のCDをミュンヘンでリリースし、衝撃的なデビューを果たした。その後すぐにベルリン・フィル・ハーモニー・ホールやミュンヘンの王宮劇場、クヴィルス・テアターのような有名な劇場やホールから出演依頼が相次ぎ、世界的な音楽家達―例えばイェルク・デームス氏やステファン・ラオックス氏、ベルンハルト・ヴュンシュ氏―は、アイリカの歌を絶賛している。その様な素晴らしい歌い手になるまでの彼女の一歩一歩の歩みは決して華々しいものではなかった...。1983年北ドイツ・東フリースラント地方で生まれ、5歳よりピアノを始め、16歳でアメリカ・サン・ディエゴに一人で渡り声楽を始める。その後、ドイツ・デトモルト国立音楽大学にて学ぶが、志半ばにて歌の道をあきらめる。人生は時には一歩も前に進めなくなるほどの吹雪が吹き荒れることもあるのだ...。しかし、彼女の心はいつも歌を求めていた。その後ミュンヘンの哲学専門大学に通い、哲学と元来持っている詩と文筆の頭角を現しつつあった2005年、ベルカント唱法の秘密を解き明かし、オペラ歌手の育成と声の治療で世界中を駆けめくっていた小林春仁教授とミュンヘンで運命的に出会い、歌の道へ再帰したのだ。彼女の止まることの知らない爆発的な成長ぶりに、小林教授自身驚きを隠せず、今もそれは変わらない。

また、彼女は修業時代、日本全国150回以上ものコンサートを行い、彼女の声は広く知られていった。2009年から福島で「クリシャール国際音楽祭」が始まるなど、日本中で彼女の歌は愛された。そんな自分を育ててくれた日本が20113月の東北大震災で大きな被害を受け、アイリカはその日から被災地の人々を助けるために日夜奔放し、現在もなお、日本を支えるために活動を続けている。

 

「人は誰もが早いか遅いかに関わらず、自分の“冬の旅”を経験すると思います。そして、その暗い影から自分を光に向かって解放する道を見つけられるのかもしれません...そうなることを祈ります!」と、彼女は言う。

 アイリカ・クリシャール 新春に歌う

数々の人生の“冬の旅”を乗り越えて、...Willst zu meinen Liedern deine Leier drehn?今も、そしてこれからも新たな“冬の旅”に向かって歩み続け、春を捜し求める彼女が歌うシューベルトの「冬の旅」...

                                                       是非楽しみに足を運んでください。